3月10日に、豊平在住の日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の箕牧智之さんをお招きし、「つなぐわ」のメンバーを中心に15名が集まり、平和をテーマにした勉強会を行いました。
つなぐわとは、北広島町内で活動する、INE OASA(大朝)、ひろしま自然学校(豊平)、西中国山地自然史研究会の3つのNPOの集まりです。各団体は主に環境をテーマにして活動しています。 2024年12月、ノーベル平和賞を受賞した箕牧さんが町内に在住されており、平和について考える貴重な機会にしようと、今回の企画となりました。
司会は当会よりスタッフの前田芙紗が務めました。最初に自己紹介を行ったところ、箕牧さんと繋がりのある参加者もいて、箕牧さんが北広島町に根付いた暮らしをしていることがわかりました。
箕牧さんは、8月6日の8時15分のその時、現広島市安佐北区飯室の実家前で遊んでいたそうで、ピカッと光ったときは、雷の光かな?と思ったそうです。しかし、いくら待っても広島市内で働いている父親が帰ってこないと、心配した母親が1歳の弟を背中に背負い、3歳の箕牧さんの手を繋いで市内へと探しに行ったため、入市被爆をしたとのことでした。小学校高学年の頃、原因不明の熱病にかかり生死を彷徨ったことがあるそうです。病院で注射を打っても治らない。この子はもうダメかもしれない…とアメリカから入ってきた新薬を注射してもらったところ、命が助かった。今思えば、あれが原爆症の1つだったのかもしれないというお話から、もしそうなら、10年近くたった時に突然発病した原爆症の恐ろしさを感じるエピソードでした。
被爆当時のお話し以外にも、オスロでのノーベル平和賞授賞式や講演会の映像を見たり、アメリカのスミソニアン博物館で、広島に原爆を落とした実機のB29を見た時のお話しなども聞きました。「エレベーターガールじゃなくて、エレベーターボーイ。兵隊さんがエレベーターを操作しているの」「平和賞受賞発表のあと、家に帰ろうと思ったら、地方メディアの取材はもちろん、全国や国外からの取材などが多く、帰宅できずに結局数日ホテルに泊まった」など、ユーモアも混ぜながらのお話しは大変わかりやすかったです。被爆孤児について改めて知り、考えることもあり、原爆投下80年と、長い年月が経った今でも、問題は残っているように思いました。また、被爆者が少なくなってきており、当事者の願いのバトンを受け取らなければならない私たちを含めた、次世代についても考えないといけない、ギリギリのチャンスではないかと思います。
「世界平和のために、身近なことからできることは何かありますか?」という質問に「人と仲良くすること」と箕牧さんが答えてくれました。簡単なようですが「戦争は、たくさんの人と人との間の大きい争い」「だから、人と人と仲良くすることがとても大切」との発言に、なるほど。と納得せざるを得ませんでした。
「今回の受賞で『ヒダンキョウ』が全世界に通用する言葉になった」と嬉しそうにおっしゃった一言が、今まで活動してこられた箕牧さんをはじめとする、被爆者の方々の努力を表すようでとても印象的でした。せっかく世界共通の言葉の一つとなった「ヒダンキョウ」がここで途切れてしまわないように、一つ一つ小さなことからでもいい、何か自分から始めたいと思います。
環境分野と平和は一見すると、共通する点は少ないように思えます。しかしこのグループや仲間たちで平和も、環境保全も「知ること。仲良くなること」が大切ではないかと気付きました。人と自然の架け橋を目指し、これからの活動に取り組んでいきたいと強く思いました。
