【活動報告】案内人と楽しむ樽床 シリーズ1 いまなぜ民藝か?(2019.9.6)

2019年8月、芸北民俗博物館にある清水庵がリニューアルオープンしました。
「芸北民俗博物館」は、1957年(昭和32年)にダム湖となった樽床村で用いられていた民具を収蔵しています。 併設されている「清水庵」はこの集落の民家(清水氏宅)を移築再建したものです。樽床の歴史を物語る両施設の存在を広く知ってもらうべく、清水庵を会場に「案内人と楽しむ樽床」と題して全3回のオープン記念イベントが企画されました。
今回はその第一弾として「いまなぜ民藝か」というテーマで、明治大学准教授で哲学者の鞍田崇先生にご講演を頂きました。 聞き手の高原の自然館の白川勝信学芸員と34名の一般参加者と共に「民藝」を糸口として、樽床村にあった暮らしへと思いを巡らせました。
鞍田先生のお話は、まさに民俗資料そのものの清水庵のなかで、柳宗悦の「民藝」と柳田国男の「民具」というふたつの概念を行き来しつつ展開されました。
民藝は民具の一部であるが、それらは共通の土壌に根差していること。さらに、岡本太郎(『忘れられた日本人(沖縄文化論)』)の言葉を足掛かりに、「民藝」「民具」「芸術」などに通底するのは“人々の生活”“命の営みそのもの”だと話が深まっていきます。 この奥底にあるものが芸術のような機会で現れる時、そこに「親しさ」を覚えると岡本太郎は言います。
実は柳宗悦が民藝の美の本質に観じ取っていったものも「親しさ-intimacy-」だったのです。 それは“愛しみ”や“悲しみを慰める悲しみ”等と言葉を変えながらも、“人間の命のいとなみ”そのものへの思いとして柳の生涯に一貫していました。
また話は、1908年(明治41年)に樽床村で後藤吾妻氏が結成した「報徳社」へも及びます。 いまは美しい聖湖・樽床ダム。
まさにこの美しさの底には、かつて樽床村にあった人々の暮らし、そして村を守ろうという報徳社の人々の想いがある。 これらの歴史と人々の想いを忘れてはいけないと語られました。鞍田先生の案内により、民藝と民俗の奥底を探っていくなかで、舞台である清水庵のあった樽床村へと思いは深まっていきました。美しい聖湖を眺めながら、生きていくという事とはどういうことかという根源的な問題にまで思いをはせる時間となりました。
今後も「芸北民俗博物館・清水庵」を私たちの暮らし・生き方を考えていくことの出来るような場としていきたいと思います。
遠方にもかかわらず、 今回のご依頼を快諾してくださった鞍田崇先生、本当にありがとうございました。
(レポート:浄謙恵照 記録:梅本雅史/ 河野弥生)